喪服はなぜ黒色なのか? ~平安時代まで篇~
お葬式。
みなさん喪服を着ますよね。
みなさんの喪服って、何色ですか?
おそらくほぼ100パーセント、黒色だと思います。
では、なぜ喪服は「黒色」なのでしょうか?
今回は、日本の喪服の色の歴史についてお話ししたいと思います。
さて、いきなりですが、
日本では昔、
喪服の色は黒ではなく、
白だったのです!
その事実が書かれている史料を2つご紹介します。
ひとつは、皆さまご存知の『日本書紀』。
『日本書紀』で、
巻第二十七 「天命開別天皇 天智天皇」の章を見ますと、
齊明天皇が崩御された時の
皇太子 (中大兄皇子) の喪服についての記述があります。
天命開別天皇、息長足日廣額天皇太子也、母曰天豐財重日足姬天皇。天豐財重日足姬天皇四年、讓位於天萬豐日天皇、立天皇爲皇太子。天萬豐日天皇、後五年十月崩、明年皇祖母尊卽天皇位、七年七月丁巳崩、皇太子素服稱制。
(現代語訳)
皇極天皇4年に皇極天皇は、皇位を天萬豐日天皇(あめよろづとよひのすめらみこと、孝徳天皇)にお譲りになり、天皇(天智天皇)を皇太子にお立てになられた。
天萬豐日天皇後(白雉)5年十月に、孝徳天皇が崩御された。明年に皇祖母尊(すめみおやのみこと、皇極天皇)が天皇の位にお就きになられた(齊明天皇)。
齊明7年(661年)七月二十四日に、齊明天皇が崩御され、
皇太子は素服(あさものみそ)で称制(まつりごとしろしめす、しょうせい)された。
<参考URL>
http://sawadasanti.sakura.ne.jp/kiki/ookimi/038tenchi.html
この中大兄皇子が喪服として着ていた素服(あさものみそ)は、
何も染めていない服のことであり、
つまり白色の服だったのです。
もうひとつの史料は『隋書』倭国伝です。
『隋書』は中国の正史(国が編纂した歴史)のひとつで、
『隋書』はその名の通り、隋の時代の記録をまとめた書です。
その中で「倭国伝」というのは、日本について記述された書なのです。
隋は西暦581年から618年まで続いた王朝です。
つまり、『隋書』倭国伝を読むと、
その年代の日本の様子について知れるというわけですね。
では早速見てみましょう。
死者歛以棺槨 親賓就屍歌舞 妻子兄弟以白布製服 貴人三年殯於外 庶人卜日而瘞 及葬置屍舩上陸地牽之或以小轝
(現代語訳)
「死者は棺、槨に収める。親戚や親しい客は屍に付き従って歌ったり舞ったりする。妻子や兄弟は白い布で(喪)服をつくる。貴人は三年の間、外でかりもがりする。庶民は(良い)日を占って埋める。埋葬の時には屍を船の上に置き陸地でこれを引いたり、小さな輿に乗せたりする。」
<参考URL>
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/zuisyo/zuisyo_wa.htm
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000054683
上記の通り、隋の時代にも日本人は白い喪服を着ていたことが分かります。
それではなぜ、喪服は黒色になってしまったのでしょうか?
実はその理由、
「ただの勘違い」
だったみたいなのです。
勘違いとはどういうことか?
その答えもこれまた中国の正史にあります。
しかし、今度は隋ではなく、唐の時代に移ります。
今度は『隋書』ではなく『唐書(新唐書) 』、つまり、
唐の時代について記述された中国の正史に目を通してみましょう。
五曰凶禮。
《周禮》五禮,二曰凶禮。唐初,徙其次第五,而李義府、許敬宗以為凶事非臣子所宜言,遂去其《國恤》一篇,由是天子凶禮闕焉。至國有大故,則皆臨時采掇附比以從事,事已,則諱而不傳,故後世無考焉。至開元制禮,惟著天子賑恤水旱、遣使問疾、吊死、舉哀、除服、臨喪、冊贈之類,若五服與諸臣之喪葬、衰麻、哭泣,則頗詳焉。
凡四方之水、旱、蝗,天子遣使者持節至其州,位於庭,使者南面,持節在其東南,長官北面,寮佐、正長、老人在其後,再拜,以授制書。其問疾亦如之,其主人迎使者于門外,使者東面,主人西面,再拜而入。其問婦人之疾,則受勞問者北面。
若舉哀之日,為位於別殿,文武三品以上入,哭於庭,四品以下哭於門外。有司版奏「中嚴」、「外辦」。皇帝已變服而哭,然後百官內外在位者皆哭,十五舉音,哭止而奉慰。其除服如之。皇帝服:一品錫衰,三品以上緦衰,四品以下疑衰。服期者,三朝晡止;大功,朝晡止;小功以下,一哀止。晡,百官不集。若為蕃國君長之喪,則設次於城外,向其國而哭,五舉音止。
皇帝が喪服として「錫衰」という服を着ていたことが分かりますね。
この錫衰、高級なリネン(麻)で作られた喪服でした。
実は周王朝(紀元前1046年頃 – 紀元前256年)以来、
中国では喪服は麻で作られ、白かったようなのです。
中国において、麻は最も古い衣服の原料のひとつであり、
またそれら衣服に使用する麻は漂白されていたようです。
そのため、白という色は、中国では衣服の色として最も古い色であったのです。
このことから、中国の人にとって、
「白い麻の服を着る=祖先への敬意を表す行為」となり、
さらにそこから、
祖先に敬意を表す儀式=葬式において、
白い麻の服を着るという文化が定着していったようなのです。
その他にも、白=「何色にも染まっていない」ということで、
「いつわりがないこと、純粋であること、誠実であること」を象徴する色
として白色が認識されていたことも、
葬式で着る衣服の色として白が選ばれていた理由としてあるようです。
この感覚は、心が清らかであることや、罪がないことを「潔白」という
私たち日本人にも受け入れやすいものなのではないでしょうか。
<参考URL>
https://baike.baidu.com/item/%E9%94%A1%E8%A1%B0
http://www.zgls5000.net/zhouchao/199549_2.html
さて、皆様もご存じだと思いますが、
唐の時代、
中国は政治制度や文化・技術等、
様々な面において最も先進的な国でした。
ですので、日本も遣唐使を派遣する等して、唐のすぐれた制度や文化を真似しようとしていたのです。
その折、上記のように
「中国の皇帝は喪服として「錫衰」を着る」
という情報が日本に伝わってきました。
このとき、勘違いが生まれたようなのです。
「錫衰」
という字面、見ていて何か気付きませんでしょうか。
錫
そう、「スズ」です。
日本は「錫衰」の錫という字から
金属のスズを連想し、
「唐では喪服はスズの色…
つまり薄黒い色に染めているということか!
ではそれを真似しよう!」
と勘違いしてしまったようなのです。。。
ここでその勘違いのはじまりを確認できる史料を見てみましょう。
『養老律令(ようろうりつりょう)』
という法令が、日本で西暦757年(天平宝字元年)に施行されました。
養老律令それ自体は残念ながら現存していませんが、
令については、
注釈書として平安前期に編纂された『令義解』に、
倉庫令・医疾令を除く全ての令が収録されており、復元可能となっています。
その九巻に「葬送令」という篇があります。
この葬送令では、陵墓・葬儀、服喪日数等に関する規定が記されています。
では本文を見てみましょう。
凡天皇為本服二等以上親喪服錫紵
「天皇が二親等以内の親族の服喪の際には、錫紵を着用する」
と記されていますね。
<参考URL>
http://codh.rois.ac.jp/iiif/iiif-curation-viewer/index.html?pages=200020588&pos=340&lang=ja
こうして
無事勘違いの結果、
天皇は喪服として
薄黒く染めた服を着るようになったのです。
さて、天皇が喪服に黒色を使いはじめると、
貴族階級にもこれに倣ったようで、
やがて宮中では喪服=黒の文化
が定着してしまったようです。
その上、
「喪服の黒が濃いほど、より強い弔意や哀悼の意を表している」
という謎ルールもできあがってしまったようなのです(笑)
その謎ルールの存在は『源氏物語』にも記されています。
『源氏物語』「葵」の帖では、
光源氏の正妻・葵の上が六条御息所に呪い殺されるのですが、
葵の上の葬儀で光源氏はこんな歌を詠んでいます。
かぎりあれば 薄墨衣 あさけれど 涙ぞ袖を 淵となしける
(現代語訳)
「決まりがあるために私の喪服は薄くて浅い墨色ですが、
とめどない涙が袖を濡らし、淵をつくっています」
つまり、
夫が妻を亡くすことは、妻が夫を亡くすことより軽い事だということなので、喪服の黒は濃い目にできないってことなんですよね。
…最低ですね(笑)
というわけで、日本で喪服の色は白かったけど、勘違いで黒になっちゃったよというお話でした!
<補足>
今回は8世紀半ば頃、
勘違いによって天皇の喪服が白色から黒色に変化し、
そこから少なくとも10世紀頃までは、喪服は黒色という文化があったということを書きました。
しかし、この変化は
天皇と天皇に近い人たち=宮中でのみで起こったものなのではないか
とも言われています。
つまり、宮中の外にいる人たち=庶民たちはこの勘違いによる変化には巻き込まれず、
喪服は白いままだったのではないかという事です。
この件に関しても、また機会がありましたら記事にしてまとめてみたいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました😀
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ディスカッション
コメント一覧
こんにちは(=・ω・)ノ
意外と知らない豆知識でしたね。
いつかきっと何かの役には立つかも(笑)
大変勉強になりました。ありがとうございます。
では、良い一日を(≧∇≦)
こんにちは。ご覧いただきましてありがとうございます。
また、うれしいコメントをありがとうございます。励みになります(*^^*)
今後とも何卒よろしくお願いいたしますm(__)m